http://ja.wikipedia.org/wiki/土用の丑の日
その当時から現在のように盛んに夏の土用の丑の日にウナギを食べてきたかというと、そうではないようだ。現在のようになったのは 1980年代以降だ。1980年代に何が起きたか覚えているだろうか。85年のプラザ合意による円高、それに続くバブル。日本社会が急激に豊かになりはじめた時期だ。そして、90年代、中国、台湾から日本へのウナギの流通経路ができあがり、円高と相まって安価に大量のウナギがスーパ等に出回った。大量供給可能になった“うなぎ”をさばくマーケティング戦略として、江戸時代からあった土用の丑の日をウナギの日として利用したのだろう。日本の小売業のマーケティングは実に巧だと思う。国民を巻き込んだキャンペーンをはることで、チョコレートは年間売上の9割がバレンタインデー前後に集中しているそうだ。ホワイトデーも1980年頃の小売業の販売戦略が起源のようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ホワイトデー
ウナギの大量消費がはじめってから約四半世紀後、ニホンウナギは今年、絶滅危惧種となった。ヨーロッパウナギは既に以前から輸出禁止になっている。最近は資源に余裕のあるビカーラ種が“切り札と期待”されているようだ。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDJ2501M_V20C13A4000000/ ウナギ界の救世主? 「ビカーラ種」を食べてみた
ウナギといえば、ニホンウナギのことだと思っていたが、何種類ものウナギが出回っていたようだ。シシャモも北海道の太平洋沿岸の一部でとれる本物ではなく、カラフトシシャモだし、回転ずしの海鮮ネタも“似て非なるもの“だと聞く。高価で日常的に食することができなかった本物の代替品(とはいっても、素人には区別はつかないほど本物に似ている)を使って市場を拡大させるというのは、円高になり安価調達が可能になった80年代から始まったのだろう。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDJ1601N_X10C13A8000000/ 買うならどっち 「国産ウナギ」と「ニホンウナギ」
絶ウナギの生態も少しずつ分かり始め、完全養殖も研究段階では成功しているという。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG02057_S3A001C1000000/ ニホンウナギに新たな謎 「海で一生」4割も
滅危惧種に指定されたのを機にウナギを食べるのをやめるという人もいるようだ。資源として枯渇の心配がなくなるまで10年ぐらいは、“ウナギと全く引けを取らない、むしろおいしい淡水魚”のナマズを代替品に勧める生物資源経済学もいる。ナマズが人気のないのは「アンチマーケティング」なのであれば、小売業にナマズデーを設けるマーケティング戦略考案をお願いしたい。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK17007_X10C13A7000000 絶滅寸前ウナギに代わるのは、ナマズのかば焼き
とはいっても、現実は、物事は簡単ではないはずだ。生産者から小売りまでの流通経路が確立され、その中で生活をしている人がいる。価格変動ですら生活を脅かすだろうから、商売のネタを奪われては大変だ。密輸、「キロ50万円のサヤ」をとる仲介業者、“関連業者の暗躍”きれいごとではないようだ。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK04H0H_U4A700C1000000 ニッポンが世界のウナギを食い尽くす日
これは、土用の丑の日に限ったことではないはずだ。正月(1月)、バレンタインデー(2月)、ホワイトデー(3月)、進級進学(4月)、ゴールデンウィーク(5月)等、年間を通して気分を高揚させるようなイベントがある。昔から単調な日常生活のストレスを発散させる社会的仕組みは世界中いたるところにあった。年1度、バカ騒ぎする祭りはその1つだという。衣食住と同じように、人が生活する上で必須のニーズなのかもしれない。ビジネスはニーズがなければ成り立たない。日本の毎月のようにあるイベントは、小売業者が生活する上で必須のニーズを認識して、それをもとにビジネスを展開しているということではなかろうか。
経済的、金銭的感覚が鋭いというのは、そのようなニーズを認識して、見逃すことなくニーズを満たす、利益を得る行動をとるということだと思う。日本人は昔から経済的、金銭的感覚が鋭かったのではなかろうか。“風が吹けば桶屋が儲かる”は有名なことわざということになっているが、そこにある思考回路がなければ、このようなことわざは生まれないはずだ。
“ベニスの商人“も鋭い金銭的感覚を持ち合わせていたようだが、” 風が吹けば桶屋が儲かる“ という発想も、鋭い感覚がなければ不可能だ。ウナギは夏、やせ細り、冬眠に備えて養分を蓄える秋の時期と比べるとおいしくないそうだ。エスキモーに冷蔵庫を売ったのは、日本のセールスマンと言うが、夏のウナギが ”土用の丑の日のウナギ“として大量消費されるようになったのも、同じような鋭いビジネス感覚が働いたからであろう。
夏の土用の丑の日といえば、ウナギのかば焼きだ、と冒頭に書いたが、ずっと私自身そうだと思っていた。本当は、夏の土用の丑の日といえばビジネスチャンスだ、ともっと早く気づきたかったと思う。ウナギの記事を日経Web版で見つけたのは偶然ではなかったのだろう。
その当時から現在のように盛んに夏の土用の丑の日にウナギを食べてきたかというと、そうではないようだ。現在のようになったのは 1980年代以降だ。1980年代に何が起きたか覚えているだろうか。85年のプラザ合意による円高、それに続くバブル。日本社会が急激に豊かになりはじめた時期だ。そして、90年代、中国、台湾から日本へのウナギの流通経路ができあがり、円高と相まって安価に大量のウナギがスーパ等に出回った。大量供給可能になった“うなぎ”をさばくマーケティング戦略として、江戸時代からあった土用の丑の日をウナギの日として利用したのだろう。日本の小売業のマーケティングは実に巧だと思う。国民を巻き込んだキャンペーンをはることで、チョコレートは年間売上の9割がバレンタインデー前後に集中しているそうだ。ホワイトデーも1980年頃の小売業の販売戦略が起源のようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ホワイトデー
ウナギの大量消費がはじめってから約四半世紀後、ニホンウナギは今年、絶滅危惧種となった。ヨーロッパウナギは既に以前から輸出禁止になっている。最近は資源に余裕のあるビカーラ種が“切り札と期待”されているようだ。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDJ2501M_V20C13A4000000/ ウナギ界の救世主? 「ビカーラ種」を食べてみた
ウナギといえば、ニホンウナギのことだと思っていたが、何種類ものウナギが出回っていたようだ。シシャモも北海道の太平洋沿岸の一部でとれる本物ではなく、カラフトシシャモだし、回転ずしの海鮮ネタも“似て非なるもの“だと聞く。高価で日常的に食することができなかった本物の代替品(とはいっても、素人には区別はつかないほど本物に似ている)を使って市場を拡大させるというのは、円高になり安価調達が可能になった80年代から始まったのだろう。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDJ1601N_X10C13A8000000/ 買うならどっち 「国産ウナギ」と「ニホンウナギ」
絶ウナギの生態も少しずつ分かり始め、完全養殖も研究段階では成功しているという。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG02057_S3A001C1000000/ ニホンウナギに新たな謎 「海で一生」4割も
滅危惧種に指定されたのを機にウナギを食べるのをやめるという人もいるようだ。資源として枯渇の心配がなくなるまで10年ぐらいは、“ウナギと全く引けを取らない、むしろおいしい淡水魚”のナマズを代替品に勧める生物資源経済学もいる。ナマズが人気のないのは「アンチマーケティング」なのであれば、小売業にナマズデーを設けるマーケティング戦略考案をお願いしたい。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK17007_X10C13A7000000 絶滅寸前ウナギに代わるのは、ナマズのかば焼き
とはいっても、現実は、物事は簡単ではないはずだ。生産者から小売りまでの流通経路が確立され、その中で生活をしている人がいる。価格変動ですら生活を脅かすだろうから、商売のネタを奪われては大変だ。密輸、「キロ50万円のサヤ」をとる仲介業者、“関連業者の暗躍”きれいごとではないようだ。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK04H0H_U4A700C1000000 ニッポンが世界のウナギを食い尽くす日
これは、土用の丑の日に限ったことではないはずだ。正月(1月)、バレンタインデー(2月)、ホワイトデー(3月)、進級進学(4月)、ゴールデンウィーク(5月)等、年間を通して気分を高揚させるようなイベントがある。昔から単調な日常生活のストレスを発散させる社会的仕組みは世界中いたるところにあった。年1度、バカ騒ぎする祭りはその1つだという。衣食住と同じように、人が生活する上で必須のニーズなのかもしれない。ビジネスはニーズがなければ成り立たない。日本の毎月のようにあるイベントは、小売業者が生活する上で必須のニーズを認識して、それをもとにビジネスを展開しているということではなかろうか。
経済的、金銭的感覚が鋭いというのは、そのようなニーズを認識して、見逃すことなくニーズを満たす、利益を得る行動をとるということだと思う。日本人は昔から経済的、金銭的感覚が鋭かったのではなかろうか。“風が吹けば桶屋が儲かる”は有名なことわざということになっているが、そこにある思考回路がなければ、このようなことわざは生まれないはずだ。
今日の大風で土ほこりが立ちて人の目の中へ入れば、世間にめくらが大ぶん出来る。そこで三味線がよふうれる。そうすると猫の皮がたんといるによって世界中の猫が大分へる。そふなれば鼠があばれ出すによって、おのづから箱の類をかぢりおる。爰(ここ)で箱屋をしたらば大分よかりそふなものじゃと思案は仕だしても、是(これ)も元手がなふては埒(らち)明(あか)ず
“ベニスの商人“も鋭い金銭的感覚を持ち合わせていたようだが、” 風が吹けば桶屋が儲かる“ という発想も、鋭い感覚がなければ不可能だ。ウナギは夏、やせ細り、冬眠に備えて養分を蓄える秋の時期と比べるとおいしくないそうだ。エスキモーに冷蔵庫を売ったのは、日本のセールスマンと言うが、夏のウナギが ”土用の丑の日のウナギ“として大量消費されるようになったのも、同じような鋭いビジネス感覚が働いたからであろう。
夏の土用の丑の日といえば、ウナギのかば焼きだ、と冒頭に書いたが、ずっと私自身そうだと思っていた。本当は、夏の土用の丑の日といえばビジネスチャンスだ、ともっと早く気づきたかったと思う。ウナギの記事を日経Web版で見つけたのは偶然ではなかったのだろう。
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