2014年7月14日月曜日

出生率 パート1

2009年から日本の人口が減少しはじめた。日本が人口置換水準の出生率を保っていたのは1973年までだったようで、約35年かけて、低出生率が人口減少という結果につながった。1973年というと、人口爆発という言葉を小学生でも知っていた。人口が爆発的に増加して、増加を抑制しなければ人類は食料不足、資源枯渇に陥ってしまうと“洗脳“された時期だ。1973年前後に生まれた世代も、小中学生の頃、まだ似たような教育を受けていたはずだ。マルサスの人口論なども”偉い学者が唱えた”こととして、人口増加抑止は“真実“として刷り込まれたような気がする。

http://ja.wikipedia.org/wiki/人口爆発

このページにある人口推移のグラフのようなものを見せられ教育されたら、人口爆発を疑わない小中学生は少ないだろう。いろいろな努力をして、ようやく1973年から人口が減少するレベルまで出生率を低減させたはずだ。35年後、ようやく人口減少が実現したが、その時には少子高齢化、人口減少が問題視される時代になっていたのだ。

最近見せられるのは人口爆発のグラフとは時間軸の取り方が何万倍か違う人口推移のグラフだ。
日本の人口の推移

出生率の数値も最近よく目にするようになった。2.07 – 2.08人が人口置換水準だそうだ。最近の日本の出生率は 1.35人程度と思っていたが、2013年は 1.43人となっている。2006年から出生率は上昇し始めたようだ。

人口爆発を刷り込まれた世代と、人口減少が問題となった時代に育った世代が同居する社会になった。進行中の人口減少を食い止めるためには、有効な対策を取らなければならないというのは世界的な共通認識のようだ。

しかし、人口減少を食い止める(や人口を増やす)ことは“善”ではなく、政治/経済的なプレファレンスだと見える。人を殺さない、嘘をつかない、他人ものを盗らないなどの普遍的な善悪と、個人のプレファレンスや社会的なプレファレンスは明確に区別されるべきことだが、直観的な物事の判断は、善悪、白黒の尺度でされてはいないだろうか。国家のプレファレンスと個人の選択、普遍的善悪と社会的プレファレンス、どちらを優先させるのかは状況によっては難しいようだ。ただはっきりしているのは、善悪とプレファレンスは区別すべきであって、プレファレンスは個人によって、また、時間によって大きな幅があってしかるべきということではなかろうか。

レリゴー社会"つくれるか

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